「無心」について考えてみたくなり、鈴木大拙さんの『無心ということ』を読んでみました。
鈴木大拙さん曰く、「無心は仏教思想の中心で、東洋精神文化の枢軸をなしているもの」であり、「東洋的心理の最も特徴とするところではないかと思うので、欧米の人たちではどうしても到達することができないものである」と。。
そして、
・無心と動物の本能
・無心と無機物の機械性
・無心と無意識
・無心の無目的性
・無心の絶対価値
・無心と道徳の関係
・無心と超絶神論および内在神論
・無心と無分別の分別
・無心と心意識との関係
・無心と般若の知恵
・無心と瞑想すなわち禅定
といったテーマで、持論を展開していくのですが、これがまた難しくて、なんとなーく分かったような気になりながら、読み飛ばすように読み終えました。
でも、「近代知識人はあまりにも問い学び、手出しをしようとするのである。無心を見ようとして無心を見失っているのである」といったあたりは何となく分かるような気がしています。
僕が仕事をしている人材育成の分野においても、あれもこれもスキルや知識ばかりを詰め込もうとする結果、本来大切にしたいものが疎かになってやしないか、、、
(明日も実施するリーダーシップ研修においても、企業からのオーダーには多少そんなところがあるよなーなんて思ったりして・・)
いやいや、、、この本を読んで「無心」について少し理解したかったけど、逆にいろいろと分からなくもなりましたが、それでいいんでしょうね。。
でも、一言で何か?と問われれば、なんとなく「囚われない心」ということになるのかなー!?とは思っています。
Keiichi Toyoda Official Website
スパイスアップ・ジャパン(代表取締役)/神田外語大学(客員教授)/上智大学(非常勤講師)/レインボータウンFM(ラジオパーソナリティ)/NPO留学協会(副理事長)/グローバル人材育成/海外"殻破り"研修/ポジティブリーダーシップ/変革マインドセット/アルゼンチン育ち/上智大学卒業/IE University(スペイン)卒業/合気道/翡翠流抜刀術/著書『人生を変える単純なスキル』など全19冊
0コメント