「今からおよそ400年前、ヨーロッパ世界に目を向けた侍と、その世界を実際に見てきた侍たちが仙台藩にいた。初代藩主、伊達政宗とその家臣の支倉六右衛門(常長)ら慶長遣欧使節一行である。」
そんな書き出しで始まる本、『慶長遣欧使節 〜 伊達政宗が夢見た国際外交』を読み終えました。
このテーマの本は数冊以上読んでいるので、個人的にはよく知っている内容ではありますが、この本はこれまで読んだどの本よりも数多くの参考文献をベースに書いているので、史実に近いことが書かれているのではないかと思って。。
慶長遣欧使節がメキシコ(当時のヌエバ・エスパーニャ)を経由して、スペインに渡った当時、伊達政宗は46歳、支倉常長は42歳。現代人の感覚から言えば、50代後半とか60歳前後でしょうか。当然ですが、いくら大航海時代だったとは言え、飛行機もなく、木造の船で大海原を渡ってメキシコやスペインまで行き、帰りはフィリピン経由で帰ってくるなんて、とてつもない大冒険です。
そこまでして、なぜ伊達政宗はスペインとの通商交渉をやろうと思ったのか?
これまでにいろんな本に諸説書かれていました。南蛮国を攻略しようと思ったとか、スペインと軍事同盟を結んで江戸幕府を倒そうと思ったとか、1611年に仙台藩を襲った大震災の復興のためとか。。。
でも、本書の著者が4500通を超える伊達政宗の文書、慶長遣欧使節に関する400以上の記録を見るとそのどれもが違うのではないかという疑問があり、おそらく伊達政宗は仙台を富ませることになるであろうスペインとの布教と貿易の協定を結びたかったのではないかという話。
残念ながら、徳川政権になりキリスト教の禁教や鎖国が始まったことで、彼らが思い描いていた通りにはならなかったスペインとの通商交渉ですが、あの時代にあんなところまで侍たちが行っていたことに驚きを隠せませんし、しかも、使節団の一員としてスペインに渡った侍6〜7人が現地(彼らが滞在していたセビリア近郊の街Coria del Río)に残ったそうで、今、その子孫たちとされるスペイン人約600〜700人がJapón(ハポン:スペイン語でJapan)という姓を名乗っているというのもすごいことです。
ちなみに、Coria del Ríoでは毎年「Semana de Cultura Japonesa」という日本文化ウィークというイベントが開催されているそうですが、僕は昨年スペインで「Mentalidad de Samurai(サムライの精神)」という本を出しましたし、そこで抜刀術の演武をさせてもらえないかと思って、先日、主催者に連絡をしたところ、「10月にぜひご参加いただきたいです。」との返信がありました。
まだどうなるか分かりませんが、実現できたら嬉しいなー
Keiichi Toyoda Official Website
株式会社スパイスアップ・ジャパン(代表取締役)/神田外語大学(客員教授)/上智大学(非常勤講師)/NPO留学協会(副理事長)/グローバル人材育成/海外"殻破り"研修/ポジティブ・リーダーシップ研修/マインドセット研修/アルゼンチン育ち/上智大学卒業/IE University(スペイン)卒業/合気道(三段)/翡翠流抜刀術(四段)/著書『Mushin』など全20冊
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