『朱印船時代の日本人』を読了

鎖国時代に入る以前の約半世紀、朱印状という貿易特許を得て、果敢に雄飛した日本人がいた!

400年前、ホイアンやアユタヤ、ルソン(マニラ)、プノンペンなどに日本町があり、何千人もの日本人が住んでいたことは知っていましたが、その実態をもっと知りたくて、クアラルンプールから帰国する機内で『朱印船時代の日本人 〜 消えた東南アジア日本町の謎』を読んでみました。

主にホイアンとアユタヤの状況を、当時の現地の資料や日本の文献などから調べているのですが、飛行機で海外を飛び回れる現代とは全く違う世界があり、先輩たちほんと凄かったんだなーと改めて感動します。

そして、当時のことを考えたら、今、大した危険もなく、これだけ楽に飛び回れて・・・という状況に感謝すると同時に、だったらもっともっとできるだろうと思わされます。

ホイアンの話では、ホイアンの街だけでなく、谷弥次郎兵衛の墓や、ダナンとホイアンの間にある五行山など、僕が訪れたところの話も出てきて、情景が思い浮かびました。

アユタヤの話では、当然、山田長政が出てきますが、実際に彼はどの立場にまでのし上がっていたのか?実際、山田長政とは誰だったのか?という話も面白かったです。しかも、アユタヤの日本町は徳川の鎖国政策が始まる前に、現地で焼き討ちにあって、日本人も皆殺しになっているので、現地で一体なにがあったんだろう???というのは、今からはなかなか想像できないいろんな状況があったんでしょうね。

あと、ポルトガルやオランダ、スペイン、イギリスなど、欧米各国とのせめぎ合いなども、おそらく現代社会の貿易競争以上に熾烈を極めた様子が窺えて、その中でプレゼンスを発揮していた日本人ですが、一つ言えるのは、日本人の武力はやはりかなり強かったんですね。商人であり武士であり、、、常に帯刀して、何かあったらすぐに戦う日本人!

そんな血湧き肉躍る時代に身を置いてみたかった気持ちもどこかでありますが、凄まじく危険だろうなー

面白かったのは、ベトナム通貨の「ドン」って、日本の「銅」からきているって知ってました!?

朱印船貿易時代以降、日本から大量の銅を輸入して銅貨を造幣していたことから通貨のことを銅、ドンと呼ぶようになったそうです。

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Keiichi Toyoda Official Website

スパイスアップ・ジャパン(代表取締役)/神田外語大学(客員教授)/上智大学(非常勤講師)/レインボータウンFM(ラジオパーソナリティ)/NPO留学協会(副理事長)/グローバル人材育成/海外"殻破り"研修/ポジティブリーダーシップ/変革マインドセット/アルゼンチン育ち/上智大学卒業/IE University(スペイン)卒業/合気道(三段)/翡翠流抜刀術(四段)/著書『Mushin』など全20冊