生命科学者、清水博先生による『生命知としての場の論理 〜 柳生新陰流に見る共創の理』を読了!
講演でも研修でも「大切なのは試行錯誤!」「試行錯誤していこう!」と話している僕にとって、「試行錯誤している余裕はないよね?」という問いを突きつけられた本でした。
でも、そういう問いを投げかけられて、確かにそれはそうだなーとすぐに思いました。
大きな時間軸で捉えると試行錯誤していきたいところではあるんだど、限られた時間的制約の中で、本当になんでも試行錯誤できるか?と言われたら、それはできないなーと思うので、、
清水先生はこう書いていました。
「今日の複雑な社会の中で生きていくために、もしできることなら試行錯誤を実行する方がいいのですが、実際にはそんな余裕はありません。この試行錯誤の方法は、素人将棋で言う「待った」を繰り返して正解に到達する方法と言っても良いのですが、変化が早い現実の社会の中では「待った」を繰り返すのは難しいでしょう。」
そこで、先生が出してきた言葉が「リアルタイムの創出知」!
なんだこれ???と思いながら読み進めましたが、試行錯誤をして徐々に改善するのではなく、その場その場でベストな解決策を生み出す!ということです。
そんなことできるのか?と思いますが、そのヒントを清水先生は新陰流の剣の極意に見出します。
なぜなら、真剣をとって向かい合う命のやりとり(=真剣勝負の場)においては「待った」をした時にはもう死んでいるから。。
生きるか死ぬかという場面においては、試行錯誤ができないので、「リアルタイムの創出知」が必要になるのです。
ちなみに、なぜ新陰流か?ということですが、この流派が戦国時代に起こったからです。
江戸時代初期に書かれた『不動智神妙録』の話が出てきますが、剣禅一致を説いたこの本では、すでに泰平の世になっていたからだと思いますが、どちらかと言えば「(真剣勝負においては)これこれの心の置き方が必要である」ということは書かれていても、「技の理」については何も語っていないと言うのです。(たしかにそうかも、、)
それに関して、先生はこんな書き方をしていました。
「禅は剣を持って戦うためには「こういうことが必要である」という必要条件は教えてくれますが、それを知っていれば絶対に敵に勝てるというわけではないのです。確かに命と直接関わり合う剣は、禅に結びつきやすいのだとは思いますが、剣は心の理だけではありえません。術が理に結びついて、初めて成り立つものなのです。その点で、柳生新陰流は、江戸時代に発展し、禅の教えの影響を受けている他流派に比べて、特に術と理のバランスが優れていると私は思います。」
つまり、、、心も大切だけど、いざ真剣勝負の時には「相手がどのような技で来ても絶対に勝つことができる、真剣勝負の必勝の理」が必要で、それを発見したのが新陰流の流祖、上泉伊勢守であると。。
そして、それこそが「リアルタイムの創出知」であるということでした。
正直、すごく難しくて、3割も理解できたかどうか、、、というところではありますが、今、書き進めている本とテーマがすごく近いので、めちゃくちゃ興味深く読むことができました。
ただ、、、では、その「リアルタイムの創出知」はどうしたら身につくのか!?に関して、本書からは明確な解を見出せませんでした。
だからこそ、その一つの解を、僕は次の本で示したいと思っています。(いやー、俺にそんなことができるかなーー)
Keiichi Toyoda Official Website
スパイスアップ・ジャパン(代表取締役)/神田外語大学(客員教授)/上智大学(非常勤講師)/レインボータウンFM(ラジオパーソナリティ)/NPO留学協会(副理事長)/グローバル人材育成/海外"殻破り"研修/ポジティブリーダーシップ/変革マインドセット/アルゼンチン育ち/上智大学卒業/IE University(スペイン)卒業/合気道/翡翠流抜刀術/著書『人生を変える単純なスキル』など全19冊
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