· 

昔、関東の中心は「浦和」だった!?

先週水曜日にお送りしたレインボータウンFM "Go around the world" は著者仲間で、マーケティング・コンサルタント&龍谷大学の客員教授でもある原尻淳一さんをゲストに迎えてお届けしました。


埼玉出身の2人なだけに、今日のトークは映画『翔んで埼玉』からの「浦和」の話で盛り上がりましたが、
フィールドワークを通して学び、その学びが好奇心を刺激し、さらにその好奇心が次の行動に繋がる!というジリさんにめちゃくちゃ共感しながら、ジリさんの仮説を聞いていたら、いろいろと本当にそうじゃないかと思えてきました。

・調神社
(小学生の頃、いつも遊んでいた神社ですが、多くの人にはこれが「つきのみや神社」と読めないでしょう)
ここは昔、租庸調の調(地域の名産)を税として納める場所だったのですが、なぜ「調」を「つきのみや」と読むのか!?

それは、この神社が海・航海の神様を祀るところで、航海のときに方角をみる「月」に因んで「月の宮」だったに違いない!とか。。(なぜなら、昔、浦和には海があったから!)

・本太
(浦和に「もとぶと」という地名があります。)
これは昔は「元府趾」(もと「府」あと)という字だったそうで、つまり、ここはもともと「府」(=大阪府や京都府のような政治・経済の中心地)があった趾(あと)だったと思われ、ジリさん曰く、「昔、浦和が関東の中心だったんじゃないかと思うんだよねーー」と。。

「じゃあ、浦和が中心だとすると、武蔵一宮がある大宮はどんな位置付け?」という僕の疑問にもちゃんと答えてくれるジリさんが最高!(それも仮説だけど、、w)

約7000年前に浦和のあたりまで海があったのは事実で、だからこそ、当時、僕が住んでいた「浦和市高砂」は海沿いの「ちょっと高くなっている砂地のエリア」だっただろうし、僕が卒業した岸中学校がある「浦和市岸町」は海沿いの「岸」だっただろうし。。

興味ない人には全く興味ないかもしれない話題ですが、僕はこういう話が大好きなんで、ほんと僕にとっては最高に楽しい時間でした!